介護は突然にやってきた

介護日記

こんにちは

メープルです。

私の母は、家事・育児・仕事・町内会活動

といろいろな役割をこなしていました。

自分の父母と同居しており、

子どもが3人いたため、

7人分のご飯を毎日作っていました。

片付けや洗濯、掃除は祖母に手伝って

もらっていましたが、

毎日7人分の食事を作るだけで、

大変な労力だったと思います。

それに加え、9時から17時まで

仕事をしていたため、

帰って来る頃にはかなり疲れていた

のではないかと思います。

17時に仕事を終え、食材の買い物をし、

帰って来て、休む間もなく、

料理を始めます。

今、私も母親になって思うことは、

ただただすごいなと思うばかりです。

そんな頑張り屋な母と、休みの日は、

たくさんのスポーツをした記憶があります。

私が小学生の時は、バスケットボールや

キャッチボール、卓球と

さまざまなことをしました。

おかげで、体育の授業は大好きな

科目になりました。

中学生の頃は、夕食の後、

数学を教えてもらいました。

教科書でやり方を確かめながら、

一生懸命教えてくれました。

苦手な数学もできるようになると

面白いものだと感じることができました。

たくさんの思い出がありますが、

私が今でも覚えている行事の1つに、

節分の豆まきの記憶があります。

祖母の部屋の電気を消し、

豆ではなく、お菓子やキャンディチーズを

母が部屋に向かって投げ、

それを私たち3姉妹が懸命に拾います。

それは、母が楽しむことを教えてくれた、

オリジナル豆まき(お菓子まき)でした。

そして、我が家は、

たくさんの人や動物が集まる家でした。

夜は、ご近所さんが来て、

家で一緒にお酒を飲んだり、

お盆やお正月は、親戚一同が集まり、

20人くらいで宴席を囲んでいました。

それに加え、ニワトリ、ジュウシマツ、

金魚、カメ、ハムスター、猫、犬と

さまざまな動物もいました。

今振り返ると、人や動物とつながり、

共に生きることを学んだ経験

だったように思います。

私が嫁いでからも、集まりの絶えない家で、

孫がUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを

障子の穴があいた所に置き、

外向きに置いたり、内向きに置いたりと、

外の道を通る人にも見えるように、

そして、家の中にいる孫や私たち、

そして、自分も楽しめるように、

いろいろな工夫をしていました。

枠にはまらない考え方と、

三方よしの考え方を教えられた気がします。

そんな豊かな人間関係がある中で、

祖父・祖母・父が亡くなり、

そして、衝撃的なコロナ禍の自粛があり、

なかなか思うように人と会えず、

どうなってしまうのか

不安が大きかった時期だったと思います。

それでも、仕事を続けていた母には

仕事場が、人とつながれる、

救いの居場所であったと思います。

母の生き方からたくさんのことを

教わりましたが、

そんな母も仕事をやめ、

家でのんびり自分のペースで暮らし始めて、

1年たった頃の体調不良・・・

それまで病院知らずだった母の

突然の状況に、私は「無常」さを

感じています。

悲しい気持ちもありますが、

たくさんの楽しい思い出があり、

どんなことも変化していくことを

最期に教えてくれている気がしています。

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